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映像ジャーナリズム論2017/04/17

社会に存在しているからこそ被る不利益を語れない、社会に物言えない存在が世の中に沢山いるわけで、そこの声を拾い上げることが「ジャーナリズム、報道」の意義であるのではないかと。

マスコミとジャーナリズムについて
・情報の種類 事実との関連性から名前が変わる
広告/ニュース/報道(欧米ではジャーナリズム)/広報/プロパガンダ/娯楽・創作
・(マス)メディアの種類 中身を運ぶ方法
@マス、を付けてないのがgm過ぎるだろ。お前が言いたいのはマスメディアだろ?ってイライラが。
SNSはネットの一形態でありメディアの種類ではない
紙を使う チラシ/(一枚)本(情報集積/雑誌(定期性/新聞(日刊)
電波を使う ラジオ/映画/テレビ/衛星通信なり有線なり/ネット
大きく2つに別れる。
恣意的な分類が過ぎると思うんだけど。どの答えに誘導したいのか読めないgm

言論の自由について考える
・言いたかったこと
その特権意識は危険だぞって話/父親の態度(言えた?)/世話やきすぎるって話/あんたの金銭管理の問題だろ
・言えなかったこと

・言わなくて良いこと、言わねばならないこと
何がそれを分けるのか。
言わねばならないことは自分に不利益が生じている時。
言うことで損が生じるので言わないのは泣き寝入りである、と。

言えない、ということが自分をどれだけ規定しているのか。それはどこ由来のものなのか。これは授業を離れて考える必要性がある。
当事者が問題である、背負いきれない問題だと思っている時に、それは言うべきことになる。
様々な手法が用意され、一番明確な手段は法を利用する事。裁判にかける。
コレは本当に対決姿勢に入ることになる。
他の手段はあるか(言う、って部分は守らないといけないのか?)
匿名で指摘する。更に上の人間に事態を伝える。大勢で言う。
密室で起きていたら?(親子関係など)密室の外に出てみる、という意見が多いな。
権力の偏りがある以上、対等な対話は望めない。力の偏りを正すしか方法はない。別の大人を味方につける。距離を取る(限りなくお互いの権力がゼロになる)暴力(刺し違える、共倒れを示唆することで是正する)

問題が起こっているという事を外に向かって発信することがどのパターンであってもある程度有用。
問題であるという認識を広める事で、個人が直面している問題を解決する助けとなる。
一対一で対峙して解決できるのなら希望はあるけれど、そうでない場合はこの伝えるという行為が有用性が高い。
「公共圏/公共権の俎上に上げる」

言いたかったこと・言えなかったこと→なぜ?
言わなくて良いこと
言わねばならないこと
→不利益を跳ね返す(問題を改善する)
→立場による力関係を公平に解決する

人間関係上の立場の違いによって生じる不利益(権力によって発生する問題)
権力を持っている人間が権力を持っていない人間に対して圧力をかける。
人間が集団で暮らしていれば程度の差はあれ生じてくるのが権力。長男だから、男だから、という理由での権力の付与は社会が行うものなので個人の問題ではなくなってくる。権力構造があると一対一で対峙する事事態がそもそも難しい。
密室を開く事が第一歩。
パブリック(公)vsプライベート(私)
パブリックを扱いやすい。ジャーナリズムは。
皆の不利益、という物を優先しやすいんじゃろうな。
→公共性の高低
→公共圏の形成とマスメディア

独裁国家vs市民社会
→決定権(権力)はどこに?
訴えかけることの効用性が変わってくる。
限定された個人か、市民課
トップダウンか、ボトムアップ

ジャーナリズムは匿名性(告発する側が)
名前を伏せて問題提起をすることで訴えかける。記者が聞いた話では、という形にすることで告発者を守りながら代弁する。

来週やること
対話による問題解決の社会装置=ジャーナリズム
誰のために、何のためにあるのか
問題に直面する人々
ジャーナリズムの条件=言論の自由があること=当事者に声をかける権利がある
→自分の人生は自分で作りたい
→自ら考え、原因を知り、解決方法を選ぶ自由
言論の自由とは、誰のためにあるのか、なんのためにあるのか。

ジャーナリズムとは?知ること、情報…。一番の目的は、問題を抱えている当事者の問題解決のためであると。
娯楽や広報はココらへんを気にする必要がない。報道は批判ばかりだと良く言われるが、そもそもが問題を指摘するものなのだと。広報は親しみやすく、ジャーナリズムは指摘と批判。
言わなければ行けないけれど言えない、のは程度問題はあれど言論の自由が抑圧されているから。